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柏崎簡易裁判所 昭和40年(ろ)8号 判決 1965年11月02日

被告人 合田雄司

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実の要旨は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和四〇年五月二四日午後二時四〇分頃、新潟県公安委員会が道路標識により一時停止すべき場所と指定した刈羽郡西山町大字礼拝四五六番地先道路において、普通貨物自動車を運転し交差点に入るに際し、一時停止しなかつたものである。」というのであつて、被告人が、右日時場所において、普通貨物自動車を運転して交差点に入つたことは、証拠により明らかなところである。しかし、被告人は、右交差点に入るに際して一時停止をしたと一貫して主張し、証人大村博之もこれを支持する供述をして、これらは、それ自体の内容からは、一概に信用できないものとしてしりぞけることができないものであるから、その真否を他の証拠に対比して検討する。なお、被告人が停止したと主張する地点は、検察官作成の実況見分調書および当裁判所の検証調書中での各指示と被告人の検察官に対する供述調書中での説明とでは僅かに異なつているが、現場に臨んで指示した場合とそうでない場合とでこの程度の差異が生ずるのはむしろ自然なことであり、また、このような場合には、通常は、前者の指示がより正確な記憶に基づくものとみられるであろう。そこで、被告人の検証の際の指示地点に基づいて検討する。

証人坂本迹見丸、同五十嵐勝蔵および同天野久治に対する各証人尋問調書によれば、警察官である右坂本、五十嵐、天野(以下三警察官という)は、いずれも当時右交差点附近で、特に一時不停止を主たる対象とする交通違反の取締りに従事していて、被告人運転の自動車が時速八ないし一〇キロメートル位に徐行したのみで、停止することなく交差点に進入して来たのを一致して現認し、直ちに停止を命じて違反として取調べたというのである。ところが、検察官作成の実況見分調書、当裁判所の検証調書、前沢潤の司法巡査に対する供述調書および右各証人尋問調書によれば、三警察官は、西方から交差点へ進行して来る被告人の自動車に対して、交差点から北方へ通ずる道路沿い東側に被告人指示の停止地点から約三〇メートル距たる地点で、交差点を向いて五十嵐が立ち、坂本、天野がその斜め後にリンゴ箱に腰をかけて停止の有無を目撃していたというのであるが、右現認位置からは、右のような道路の形状であるうえ、交差点西北角に前沢潤方家屋が存在するため、西方道路への見通しはきかず、したがつて、停止地点に至るまでの被告人の自動車の運転状況はまつたく見えないのであつて、右家屋南側、交差点入口(北方および南方道路の各側溝内縁を結び線)から西方へ二・五メートル余の地点にある一時停止の標識が辛うじて見えるにすぎず、さらに、右標識とほぼ車体の先端が平行する位置に停止したとする被告人の自動車も、運転台の半ばまで見える程度であり、そのうえ、前沢方の前には、交差点角に沿つて草花が植えられていて車体前部のうちでも車輪の部分はこれに遮ぎられ、ボンネツト上部が見えるにすぎないことが認められ、ことに、腰をかけていた警察官らにとつては見える部分が僅かであつたことが窺われる。

以上のような見通しの状況であつて、三警察官の位置からは、被告人指示地点においては車体の一部がようやく見え始める程度にすぎず、ここで自動車が一旦停止したとしても、ことに停車時間がごく僅少だつた場合、これを確認することは必ずしも容易ではないものと認められる。もとより、この程度であつても、あらかじめ自動車の接近を予期して注目していれば停止の事実を確認することは十分可能であり、右認定のように、三警察官は、特に一時不停止の取締りを目的として、西方道路からの車両の進行に注意を払つていたのではあるけれども、前記坂本に対する証人尋問調書によれば、三警察官は、同日午後一時から同所で取締りを行ない、午後二時および二時二〇分に各一件ずつの一時停止違反を検挙、取調べたが、被告人の自動車の進行時には五分間に一台程度の交通量であつたことが認められ、このような状態で、絶えず一点を凝視すべく緊張を保ち続けることは、むしろ期待し難いことともいえようし、また、三警察官は、その証言によつても、より交差点に近く、したがつて見通しのよい位置に停止することを予期して待機していたことが窺われるから、被告人指示のような僅かに自動車が見えかかつた地点にさほど深い注意を払い続けてはいなかつたということも考えられる。(なお、五十嵐に対する証人尋問調書中、取締り当日被告人が停止したとして指示した地点は、より交差点に近い所であつた旨の部分は信用し難いものである。)そうとすれば、突如視界に入つて来た自動車がそこで一旦停止したものか、それとも停止せず徐行したまま進行して来たものかを三警察官が誤りなく識別しえたとは断言しえないものといわなくてはならない。したがつて、三警察官の証言を被告人および証人大村の供述に対比してみるとき、三警察官が、被告人の自動車の一時停止した事実を看過した可能性も否定しきれないところであつて、右各証言のほかに公訴事実を証明するに足りる資料もない以上、これに反して被告人が交差点に入る前に一時停止を行なつたのではないかという疑いが残るのである。

もつとも、被告人の指示する停止地点が法の要求する一時停止すべき地点として適当かどうかについては、なお付言しなければならない。車両等が交差点に入るに際し一時停止するよう要求されるのは、いうまでもなく、左右道路の交通の状況を見て安全を確認したのち交差点に入ることによつて、衝突等の事故の発生を防止しようとするためであるから、左右道路をある程度見通して交差点に接近して来る車両等の有無を確認できる位置に停止するのでなければその目的を達しないわけであるが、前記実況見分調書、検証調書および証人大村に対する証人尋問調書によれば、右交差点附近は、特に北方へ通ずる道路において、かなり彎曲し、北西角には前記前沢方家屋、南西角にも人家が交差点に近接して存在し、交差点入口から先端が二メートル余の所に停車した被告人の自動車の位置からは、左右ことに左側北方道路への見通しは必ずしも良好でなく、右位置は、右一時停止の目的を達するのに最も適当とはいい難いものであることが認められる。すなわち、これよりもさらに交差点に近寄つて停車することが望ましく、そうであるからこそ、前記のように取締りの三警察官もそのような停止位置ならば確認の可能な前記地点に待機すれば足りると判断する理由があつたものである。しかし、さらに右実況見分調書および検証調書によつてみるに、右交差点附近の道路の状況は、右のように彎曲しているうえ、北方道路と南方道路とでは幅員も異なり、かなり不整形な丁字型交差点をなしていて、交差点西北角すなわち被告人の進路左側角はことにゆるやかな曲線となつているのであつて、検証時に見られたような路面に白線により停止位置を示す標示が施されていなかつた当時においては、走行する自動車内から交差点に入る位置を正しく認識することは困難な状況にあつたと認められる。そうしてみると、一時停止すべき位置は、自動車運転者が最も安全妥当と考える地点を選ぶよう、その合理的判断に委ねられているものというほかはなく、そうとすると、前へ出すぎて交差点内へ入つて停車するのではかえつて危険であるから(本件交差点で本当に左右の交通の状況を確認するには自動車の前部が交差点内に入らなければならないのではないかと思われる)、運転者の心理としては、むしろ慎重を期して少し手前に一旦停車し徐行しつつ交差点に入る方が安全であると考えるのが自然であろうし、さらに、その場合、一時停止の標識の存在する地点を停止位置に選ぶことが無理からぬ行為といえよう。

そこで、本件交差点においては、交差点入口から右標識の地点までの間において停止すれば足りるものということができ、被告人がその主張するように右標識の附近で停止したとすれば、その位置を不適当なものとして咎めることはできず、道路交通法第四三条の要求に違反するところはないといわなくてはならない。

これを要するに、本件名証拠をもつてしては、交差点に入るに際し一時停止をしたという被告人の弁解を排斥して、公訴事実に対する心証を得るのに十分ではない。結局本件は犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法第三三六条により、被告人に無罪の言渡をする。

(裁判官 野田宏)

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